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明専会報(第921号):お勧め記事のご案内(2)
今号(第921号:2022年11-12月号)のお勧め記事は、掲載3回目となる「私の自慢話」です。
今回は中尾和浩氏(金59)がご執筆くださいました。
フルマラソンへの出場など、本格的に走ることを楽しまれている様子が書かれています。
是非、ご覧ください。
「還暦過ぎたマラソンランナー」
金59 中尾和浩
1、はじめに
私は現在、60歳を過ぎた現役サラリーマンです。これまで体を動かすことが好きで、高校まではバレーボールに打ち込み、大学では少林寺拳法をやっておりました。その甲斐もあって、高校時代は1500M走で5分切りを達成したこともありました。しかし、私の中では中・長距離ランニングが一番嫌いな種目でした。それは授業・部活にて、常に目標タイムのノルマがあり、その時間以内に走れないと、後から地獄のような罰ゲームがあったからです。そのトラウマで走ることが嫌で嫌で仕方ありませんでした。しかし、今では走ることに喜びを感じ、走らないと一日が終わらない日々を過ごしています。決して「私の自慢話」にはなっていませんが、マラソンランナーに至った経緯、そして近況、今後の目標を記しておりますので、気軽に読んでいただければ幸いです。
2、ランニングとの出会いとフルマラソン挑戦までの経緯
私は1984年4月広島に本社がある、自動車会社マツダ㈱に入社しました。入社当時の車はフロントエンジン・リヤ駆動のモデルが大半で、その機構に採用される歯車の熱処理製造エンジニアとして、日々工場の効率アップに尽力しておりました。工場の中には生産設備が無数にあり、その設備は種々の決められた条件で稼働しておりますが、生き物のように日々微妙に条件が変わったり、出来栄え品質も微妙に変化するのが当たり前で、そんなバラツキを如何に小さくするか、格闘の毎日でした。そんな状況ですから工場の設備と寝食を共にすることはザラで、徹夜が当たり前の日々を過ごしていました。今では働き方改革で一定時間以上の就労はNGですが、当時は関係なく、エンジニアにとっては時間を忘れてトコトン技術に打ち込める環境でした。よって、仕事は非常に充実していました。しかし、中年期までは、そんな仕事漬けの毎日で、得意にしていたスポーツは全くやる暇もなく、体の方は、どんどん鈍っていきました。
転機は入社から20年経過した頃(約18年前)かと思います。私は広島から防府に転勤となり、単身赴任となりました。防府では寮生活となり、上司・部下が同じ屋根の下、生活していました。その寮にはラウンジなるアルコールもたしなめるところがあり、毎晩、上司・部下とコミュニケーションと称して食事も共にしていました。1年間、このような生活が続いた後、広島に帰任しました。その直後、大きな衝撃を受けたことを今でも忘れられません。車を運転しているとその姿勢に違和感を覚え・・・・・・・