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明専会報(第925号):お勧め記事のご案内(2)
今号(第925号)のお勧め記事2件目は、シリーズ連載となっている「私の自慢話」です。
明専会大阪支部 電情分会長を務めていらっしゃる末永氏がご執筆くださいました。
幼少期からの「好きなこと」が、末永氏の人生に大きな影響を与えていること、そして「ものづくり」の楽しさなどについて書かれています。
是非ご覧ください。
【私の自慢話】
「ものづくりの醍醐味」
情制H11 末永 寛
九州工大で学んだ6年間、ものづくりに魅了され、今に至った私の人生。この場を借りてふり返ってみたいと思います。
1 九州工大入学前
まずは、子供の頃。私の人生に大きな影響を与えた、「プログラミング」と「規格」の話から。
1・1 家にパソコンが来た!
これからはパソコンの時代だといって、父が何の前触れもなくNECPC9801 RX2を買ってきたのは、私が小学校6年のとき。最初に興味を持った兄が、N88-BASICで三角関数を使って山を描画していましたが、私はcircleやlineなどの簡単な命令で画面に円やラインを描画させて遊んでいました。中学に入ってPC98やEPSON製互換機を持っている友達と仲良くなり、当時発刊されていたBASICマガジンに掲載されていたプログラムコードを打ち込んで少しずつ勉強し、i f文や乱数を使った三択クイズなどを作って友達にプレイしてもらっていました。当時は1.44MBの5インチフロッピーディスク1枚に、N88-BASICの言語システムと自分のプログラムコードが余裕で保存できていた時代。今では写真データ1枚すら保存できない容量。懐かしい。
1・2 家にビデオデッキが来た!
VHSビデオデッキが我が家に来たのも小学校5、6年の頃でした。近所の東芝ショップから設置に来ていただいたことを覚えています。アニメが大好きで、最終回は使い捨てカメラで画面を撮影していた私にとって、映像が保存できる感動と、デッキとテープのメーカが違っても、録画・再生ができる統一規格のすばらしさは、私にとって衝撃的すぎる出来事で、いつかそんな仕事をしたいと思うようになりました。
1・3 高校時代のソフト開発
プログラミングに話を戻します。高校時代、BASIC言語の師匠と仰ぐ友人と、3年間同じクラスで過ごしました。当時私は、パックマンのような、敵をかわしてゴールを目指すゲームを作成しており、家で夜な夜なコーディングし、翌日フロッピーディスクを彼に渡し、ソースコードの指導やデバッグをしてもらっていました。関数定義や構造化といったことは全く無視のソースコードのため、「スパゲッティみたいなソースコード」とツッコミを入れられたことがとても懐かしい。ちなみに、彼は今では・・・・・・
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